日本財団 図書館


 

うに、この交響曲の中には高貴なコラールと卑俗な大衆歌謡やマーチとが、全く分け隔てなく存在している。

 

時代錯誤的だったシラーの詩
シラーの詩について多くを語り得ないのが残念だが、一言だけ。「歓喜に寄す」という詩は、この作品の初演当時は、既に時代錯誤の理念だったことは忘れてならない。
卑近な譬えをすれば、突然某国から戻ってきた元金共闘闘士が、シラケ世代すら通り越したコギャル連中に向かって、「勝利は見えぬが、立ち上がって共に闘おうではないか」と演説するようなものだ。鳩が豆鉄砲喰らった、などというならまだ良い。理解不可能で、馬鹿じゃないあのオヤジ、と罵倒されるのがオチである。
音楽のメッセージとしての分かりやすさではこの上ないから、その瞬間は喜ぼうが、後で冷静に考えれば、随分と妙に思うことだろう。
芸術が創り出す非日常的空間での新たな共同体創設−ベートーヴェンのこんな願いも、醒めた現実の前では無力だった。シラーの言葉とキリスト教被造世界観を借りた壮大な夢想は、壮大であるが故に一層虚しい。
ウィーンでの最初の成功が、この作曲家が市民と共有した最後の直接的接触となる。以降1827年の死まで、老大家はこの交響曲以上に様式を逸脱した弦楽四重奏に没頭する。
初演の聴衆には圧倒的に支持された〈第9〉も、玄人筋からは批判され、聴衆からは老大家の不可解な大作として敬遠されるのである。再び蘇るのは、1848年の革命の嵐の中であった。

 

ペルト フラトレス
作曲家の評価は絶対不変であるかのように思われがちなクラシック昔楽だが、無名の新人があれよあれよと人気者となることもある。
10年前にペルトを知る者は、よほどのソ連通だった。90年代に入って爆発的な人気者となり、CDは売れるわ、ヴィデオも出るわ、本人が日本で熱狂的拍手を受けるわ、新作が延期延期で関係者をはらはらさせるわ……。
ペルトは1935年にエストニアに生まれ、80年にオーストリアに亡命した作曲家である。同郷の作曲家エドアルド・トゥービンの想い出のために1977年に作曲された<フラトレス>は、この作曲家の様式を代表する作品。
基本的には、同音形が延々と続き、クレッシェンドして、再び静寂の中に消えてゆく極めてゆっくりしたミニマル・ミュージックなのだが、ロシア正教賛美歌を思わせる旋法と、あるのかないのか判らないような不思議なリズムが、なんともいえない宗教的陶酔を喚起する。打楽器の、鐘を連打するような響きで音形が切断されるのも、荘厳さを醸し出す。
この前には、二重奏から金管合奏まで様々な楽譜がある。本日は、1991年の第6改訂版とされる、弦楽五部合奏に打楽器が加わった楽譜での演奏である。
(わたなべ・やわら 音楽ライター)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION